雲弘流剣術

 第十九代宗家

井上 弘道

〒860-0046

熊本県熊本市横手4-21-22

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  井上 弘道

由来

 雲弘流は、そのはじめ奥州伊達家の士に、樋口七郎右衛門不という者がおり、天神正伝神道流を学び、さらにこれを改益して一流を起こし、弘流と言った。寛文年間のことである。
 同じ藩中の士に氏家八十郎という人がおり、その祖父は井鳥土佐という旗本千石であった。父の五郎衛門のときに仙台候の家臣となったこの氏家が不の弟子で、相応に技をよくしたが、一度無住心剣の小出切一雲に会って、その非凡さに敬服して門人の列に入り、研究の結果、印可を得た。そこで伊達家を辞して、本姓の井鳥に復した。そして五郎右衛門と称し、巨雲と号した。流儀も弘流を経とし、無住心剣を緯として雲弘流という一派を開いて剣道指南をした。これが雲弘流のはじめである。
 《肥後雲弘流について》
 宝暦四年十二月、細川第八代重賢公は、文武を振興し、人材を養成し国家治乱の用に供するという目的で、熊本城内二の丸に藩校時習館を設立し、武芸所を東西と称した。この開校とともに井鳥五郎衛門景雲が、師役を引き受けた。八年の後、門人二百人に及ぶという隆盛を誇った。
 景雲以後の歴代雲弘流当主は、東西の師役を幕末まで務めた。特に肥後藩では、君侯に侍するもののうち誰か一人は雲弘流の遣い手が選ばれたものだという。これは当流の修養を頼もしきもの、確かなものと認められたからであろう。真剣勝負、実戦ならば雲弘流である。

系譜

 (流祖)樋口不元雲
 二代・針谷五郎兵衛夕雲
 三代・小出切空鈍一雲
 四代・井鳥助之允巨雲
 五代・井鳥五郎衛門景雲
 六代・建部貞右衛門流雲
 七代・建部九郎助帰雲
 八代・建部貞右衛門大雲
 九代・建部青一郎青雲
 十代・建部長敬寂雲
 十一代・建部真八郎保雲
 十二代・野之口常人徳雲
 十三代・高橋長鑑微雲
 十四代・岡崎唯誰牙雲
 十五代・建部忠平詳雲
 十六代・建部健三郎健雲
 十七代・井上平太皆雲
 十八代・井上伯雲
 十九代・井上弘道尤雲

流儀の特徴

 一、雲弘流一盃の伝に日、当流は無相にして有相不思不願不貯不取不捨して天真に得つる性のまま相討合体を主とす。
(右相討合体を主とする理由)人は万物の霊たる者にて剣を取り討果たすに自己の身命を全うして人を斬ると思う如きは卑劣の心にて相討ちして死するに天理の本分なり。
 二、修業の大事
イ、第一に勝気を離れ負けを楽しみ専ら打たれて修業すべし。
ロ、長剣、短剣其品異なれ共心の位同じければ、相討の場も又同じ。
ハ、平日に必死の決定をなし、身を死地に入るる修業すべし。

活動状況

熊本県古武道協会に属し、各種演武大会に参加している。

●稽古場及び支部
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 ▽道場「天真」
屈深屈深 象水月象水月 霞