當田流剣術

 第十八代宗家

竹内文隆

〒036-8131

青森県弘前市千年4-53-2

■ 電話(0172) 87-3837

  竹内文隆

由来

 當田流は三河(愛知県)の中条流を源流としている。南北朝時代、中条兵庫守長秀は「中条流平法」を大成した。長秀の嫡男は越前(福井県)斯波家の重臣であったため、中条流は越前に居を移し、富田越後守重政の代に至り最も盛んになったので、世の人々は「富田(とだ)流」と称するようになった。
 越前の富田流が津軽の地にもたらされたのは、津軽四代藩主信政の時代である。武州(埼玉県)忍藩士、松田甚五平(甚五兵衛とも)は越前に至り、富田権太夫吉正から剣を学んで印可を授けられ、富田の姓を名のることを許された。やがて江戸に出て剣術指南をしていたが、故あって江戸から弘前に至り、名を半兵衛吉正と改めた。姓も富の字に八点を加えて當田とし、「嫡伝當田(とうだ)流」と称して藩士に剣術の指南をした。延宝八年(一六八〇)、吉政は藩主信政に剣術師範として召し抱えられた。その後は門弟の浅利伊兵衛均禄(ただよし)によって継承され、代々、浅利家がこれを継いできた。十五代寺山龍夫(旧姓浅利)亡き後は、十六代竹内大、十七代中嶋繁喜、十八代竹内文隆が継ぎ、今日に至っている。

系譜

富田清源(流祖)-富田内記-富田権右衛門-富田権太夫吉政-當田半兵衛吉正-浅利伊兵衛均禄-一戸三之助-浅利萬之助均定-浅利清蔵均諸-浅利萬之助均豊-浅利清蔵均繁-浅利萬之助均致-浅利八郎-関彦四郎-寺山龍夫(旧姓浅利)-竹内大-中嶋繁喜-竹内文隆

流儀の特徴

「敵に逢った時は、心と動作に少しも滞ることなく、流水のごとく自然に相手に接近し、一撃に倒すことを本領とする。」(「當田流太刀許極意之巻」より意訳)

活動状況

毎週日曜日を稽古日としている。
青森県内においては、毎年、青森県武道館で行われる「青森県武道演武大会」に参加するのが恒例となっている。

●稽古場及び連絡先
 ▽弘前市勤労青少年ホーム
 〒036-8362
 青森県弘前市五十石町7
 電話(0172)34-4361
 
 ▽連絡先
 〒036-8131
 青森県弘前市千年4-53-2
 電話(0172)87-3837
 竹内 文隆
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