鹿島新當流剣術

 第六十五代宗家

吉川 常隆

〒314-0031

茨城県鹿嶋市宮中1-3-39

■ 電話(0299) 82-8421

  吉川 常隆

由来

 「兵法は東国から」といわれているが、この東国とは鹿島・香取の地を指すものであり、日本の武道発祥地として鹿島は古い歴史と道統を有している。今から千五百七十余年前、鹿島神宮大行事大鹿島命の後裔国摩眞人が鹿島神宮境内の高天原に神壇を築き、祈願熱祷を捧げて神託を受け、武甕槌神の神剣「韴霊剣」の法則である神妙剣の位を授かり、以後「鹿島の太刀」と称して大行事座主職卜部吉川家を中心に継承されていた。のち、「鹿島の太刀」は上古流・中古流と発展的に呼称され、また「京八流」に対し、俗に「関東七流」あるいは「鹿島七流」といわれるほど東国武術の代表的存在であった。
 一四八九年卜部覚賢の次男に生まれ、その後、塚原城主土佐守安幹の養子となった塚原卜傳高幹は実父から「鹿島中古流」を、養父からは「香取神道流」を学び、また武者修行による修練を重ね、かつ鹿島神宮に一千日の参籠祈願をして「心新たにして事に当たれ」との神示を受けるとともに、「鹿島の太刀」の極意を悟り、流派名を「鹿島新當流」と改め、生家卜部吉川家に継承され、今日に及んでいる。

系譜

始祖・国摩眞人-五代活仁-十一代常快-十六代基賢-二十三代繁雅-三十二代晴常-四十代秀慶-四十五代常親-四十八代秀室-四十九代呼常-五十代覚賢-五十一代常賢-流祖高幹(塚原卜傳)-五十四代直常-五十九代常應-六十二代常淑-六十三代常広-六十四代浩一郎-六十五代常隆

流儀の特徴

 甲冑武道を基礎として想定された実戦的古武道である。身は深く与え、太刀は浅く残して、心はいつも懸りにて在りと伝えられてきた。甲冑の最も弱点とされる、小手、頸動脈、喉、上帯通しなどを突き、あるいは切ることによって相手を制する。
  武士の学ぶ教は押並べて
  その究には死の一つなり (卜伝百首)

伝承されている伝書

 鹿島神宮霊剣新當流奨位高上、新當流剣術唯授一流正統之血脈、塚原ト傅免許状、ト傅百首、新當流七条ノ太刀、霞ノ太刀の形の図解、鹿島新當流兵法自観照、起證文

活動状況

(一)毎年一月七日道場開き式を執行し、新春を祝い年間修練の無事と当流の振興発展を祈念。

(二)一月八日より一カ月、寒稽古実施。定例稽古日、毎週木曜日午後八時〜十時。古文書の研究など兼ねる。

(三)毎年六月第二日曜日、鹿島神宮奉納古武道演武会を開催。

(四)平成二十年六月八日、剣聖塚原卜傳生誕祭として開催。奉納演武を行う。

●稽古場及び支部
 ▽鹿島新當流道場(明治二十年建築)
 〒314-0031
 茨城県鹿嶋市宮中1-3-39
●文化財指定
 昭和五十二年十月二十日、鹿島町無形文化財指定
 平成元年九月二十七日、茨城県無形文化財指定
高上奥位十箇ノ太刀より<br />「懸内有待待内有利之事」高上奥位十箇ノ太刀より
「懸内有待待内有利之事」
中極意霞ノ太刀より<br />「上霞」中極意霞ノ太刀より
「上霞」
面ノ太刀より「三ノ太刀」面ノ太刀より「三ノ太刀」